江戸時代に新田開発などで大きな財を成した大橋家が1796(寛政8)年に建てた建物です。 倉敷の代表的な町家のひとつに数えられ、長屋門や倉敷窓・倉敷格子などを備えた往時の商家の姿を現在に残す重厚な造りが印象的です。国の重要文化財にも指定されています。
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美観地区の一角にある鶴形山の山頂に鎮座する創祀1700年を超える古社。 古くは島で、神功皇后の西征の際、海の守護神として鎮り、東漢氏(やまとのあやうじ)の祖、阿知使主(あちのおみ)が祀ったと伝えられ、境内には日本一古い蓬莱様式の磐坐(いわくら)や日本一大きい曙藤「阿知の藤」等がある。 秋祭りには倉敷名物“素隠居”が出る時代行列の御神幸があり、“三女神の舞”や“獅子舞”等が奉納されます。
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昭和5年、倉敷の実業家大原孫三郎が設立したもので、西洋美術、近代美術を展示する私立美術館としては日本最初のものです。ギリシャ神殿風の本館の中には世界画壇の巨匠作品が多数展示されており、ツタにおおわれた石垣、門を入るとロダンの彫刻「洗礼者ヨハネ」「カレーの市民」の像が迎えてくれます。隣接して、分館、工芸・東洋館があり、倉敷アイビースクエア内に児島虎次郎記念館があります。
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1950(昭和25)年、江戸時代の土蔵作り米倉を改装して開館。今では考古館の建物は、倉敷を象徴する倉として、ポスターや切手をはじめ、様々なデザインにも使用されており側面壁の貼り瓦の美しさも注目を集めています。 内部の展示品は、「吉備」地方である岡山県と周辺一帯を中心にした遺跡から発見された遺物が中心で数多くあります。 遺物は旧石器時代から鎌倉・室町時代にも及びますが、中でも大変珍しいものとしては、台付家形土器・金蔵山古墳出土の様々な鉄器・奈良時代の墓地買地券・国指定文化財の三彩壷などが有名で、寄託されている南米ペルーの古代土器もあります。
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明治26年、倉敷紡績の初代社長大原孝四郎氏の別荘として建設されたもので、和風建築として高く評価されました。 その後、広く一般に開放されて、市民の憩いの場として親しまれてきました。 現在は「敬倹堂(ケイケンドウ)」、本格的な茶室を備えた「游心亭(ユウシンテイ)」があり、広く市民に開放され、茶会の名所にもなっています。
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かつて物資を積んだ川舟の往来でにぎわった倉敷川。その風情を味わえる観光川舟が運行されています。ゆったりと進む舟に腰を下ろして眺める白壁の町並みは、川舟流しならではの表情を見せてくれます。
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人の往来が絶えない倉敷川畔から道一本隔てた、静かで落ち着いた時間が流れる本町通り。 古くは倉敷と早島を結ぶ街道で、倉敷川沿いより先に町となり箪笥屋、桶屋など職人達が軒を連ねる場所でした。現在も格子戸の宿、杉玉が軒に下げられた造り酒屋、阿智神社へと続く参道など、昔のままのような風景に出会うことができる静かな通りです。 そんな通りに町家を改装したカフェ、ギャラリー、居酒屋などの新店が町に新しい魅力を添えています。 10月中旬には「倉敷屏風祭」の舞台となり、多くの人で賑わいます。
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本町通りに続く東町の通りも歴史と生活感が絶妙に調和し、静かな暮らしを垣間見ることができます。古い町並みのあちこちに見かける軒屋根看板や井戸跡など「いにしえの暮らし」を発見したり、気ままに歩いて、いつもと違う倉敷に出会ってください。 10月中旬には「倉敷屏風祭」の舞台となり、多くの人で賑わいます。
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阿智の藤は、美観地区の北、鶴形山にある曙藤(あけぼのふじ)の巨樹です。 樹齢は300~500年とも言われており、幹周りは1.5m。同種の藤では最も古く大きいもので、岡山県天然記念物となっています。 一時は枯れかけたこともありましたが、地元住民らが保護活動を始め、樹木医の診察を受け治療を行った結果、樹木が回復し、毎年5月上旬には見事な花を咲かせています。4月下旬~5月5日までは藤祭りを行っていますので、美観地区に来られた際には、ちょっと寄り道をして楽しまれてはいかがでしょうか。
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